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住職の日記

先祖供養は菩薩信仰である 先祖供養の場で感じたこと

今年の夏は各地で猛暑となっております。皆様いかがお過ごしでしょうか?
大雨の被害にあった方には心よりお見舞い申し上げます。

8月は宮城ではお盆の季節です。
お寺では各家庭へ棚経に回らせて頂いたり、お盆の行事(盆・施餓鬼会)を営み、先祖供養や餓鬼供養のため回向を行います。あなたのご家庭では、どのようなお盆をすごされたでしょうか?

今回は「先祖供養は菩薩信仰である」をテーマに、仏教における先祖供養についてお話したいと思います。

大乗仏教の三本柱

大乗仏教の三本柱といえば

  • 永遠の仏への信仰
  • すべての人が仏になれる
  • 菩薩精神

があげられます。

ここに「先祖供養」が入っていないのは意外だと思う方もいるのではないでしょうか?

実は本来のインド仏教には「先祖供養」を重視していませんでした。
日本の仏教が先祖供養を中心に考えるのは、儒教の影響が大きい東アジアを経て伝来したという背景にあるのかもしれません。

大乗仏教の精神を感じられる先祖供養

私自身もこれまで先祖供養と仏教との関連性について考察を重ねてきました。
というのも、お経を調べて先祖供養に言及しているものはほとんどないからです。しかし、最近では「先祖供養が中心の仏教は、大乗仏教の精神を受け継いでるのではないか」と思うようになりました。

私自身の感覚として、仏教の教義を学んだり修行に励むときよりも、宗教的にはるかに深いところに至るときがあります。

それは葬儀・法事などの先祖供養の場に身を置いたときであることに気が付きました。

その理由を探っていくうちに「先祖供養の場には大乗仏教の精神がありのままの形で存在している」というひとつの答えに至ったのです。

大乗仏教の精神と先祖供養

第一の柱「永遠の仏への信仰」。これが先祖供養の礎にあると考えます。
死がすべての終わりではなく、その先の世界がある。
「永遠の仏」は「祖霊の永遠性」を担保する基礎であり、さらに祖霊を仏の位に導いてくれる存在でもあります。明確なことばとしては存在しないかもしれません。
しかし、長きにわたり僧侶と一般信徒の間にこのような共通の意識を持ちながら、先祖供養を行ってきた歴史があると思います。

第二の柱「すべての人が仏になれる」。
私たちが死後の成仏を願うのは、死後の成仏が可能であるという前提があるからです。
先祖の霊は肉体を失った後も個体性を持ち、浄化され成仏できる。
つまり、すべての人が仏になれるという大前提があることになります。

第三「菩薩精神」。祖霊は菩薩であるという考えです。
『上求菩提 下化衆生(じょうぐぼだい げけしゅじょう)』ということばがあります。
「上には自らの覚りを求め、下には衆生を仏道に導く」という菩薩の精神を表したことばです。

自らは仏を目指す道を歩み、同時に人々を救い導く。

先祖供養の場では、先祖の仏道増進を願うと同時に子孫を守ってくれるように願います。
誰に教えられることもなくとも、先祖供養の場では自然にそう願っていると気が付いたのです。

日本の先祖供養を中心とした仏教において、祖霊を菩薩として崇拝する心は自然発生的に存在しているのではないでしょうか。

先祖供養の場がこの三本の柱で成り立っているので、そこに大乗仏教を基盤とした祈りの場が成立して仏教的感動が起こる。

私は自分自身の体験を通じてこのように考えています。

かつて、先祖供養と仏教のあり方に頭を悩ませたこともありました。

しかし、このような考えに至り現在では「先祖供養は決して仏教とかけはなれた宗教活動ではない」と思えるようになりました。

仏教をもっと身近に

「永遠の仏」というと遠い存在に思われるかもしれませんが、菩薩=先祖と思えればとても身近で切実な感覚を持って手を合わせることができるのではないでしょうか?

日本で花開いた祖霊信仰は、大乗仏教がわたしたちの身体感覚に取りこまれた独特の宗教、習慣とも考えられます。

現代を生きる方々にとって、伝統的な仏教の教えは実感しにくいかもしれません。
それでも

「お釈迦様の説かれた教えはよくわからないけど、お釈迦様を敬いその永遠性を信じます」

「亡くなった方が煩悩や苦しみ、けがれから浄化されいつかは救われた存在(仏)になれると信じます」

「仏になれるまでそちらの世界で安らかに歩みを進めてください。そして私たちのことも見守っていてください」

こうした素朴で温かい信仰は、まさに大乗の菩薩としての先祖に手を合わせているのと同じことでしょう。

僧侶の務めは、まずは皆様に先祖供養の場の宗教性をしっかりとお支えすることと考えています。

そしてもう一つ大切なのは、ご先祖様だけでなく生きている私たち自身が菩薩として利他の精神を発揮しましょうと皆様にお伝えすることだと思います。

自分自身、自分の家族だけの繁栄を願うだけでは、大乗仏教ではありません。
ご先祖様に笑顔で「がんばっているね」と言っていただけるような、利他的な生き方を心がけたいものです。

誰もが個人主義に走りがちな現代でも、それはむずかしいことではありません。

相手の立場を思いやる心遣いや、やさしいほほ笑みから実践してみましょう。