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住職の日記

節分と仏教の深い関係

年が明けたと思ったら、もう2月。 2月3日の節分は「季節を分ける」という意味を持ち、古代日本では四季の変わり目に行われていた行事です。

豆まきや鬼退治など、広く知られる節分の風習は、実は仏教と深い関わりがあります。今回は、節分に隠された仏教的な意味とその実践について掘り下げていきます。

節分の起源と仏教的視点

節分の起源は古代中国に遡り、悪鬼を追い払い、健康と幸福を願う「追儺(ついな)」という行事がもとになっています。この風習が日本に伝わり、季節の変わり目に行われる節分の豆まきが生まれました。

仏教では、鬼は単なる外部の存在ではなく、「心の中に潜む煩悩」を象徴すると考えられています。煩悩とは、怒り、欲望、無知など、私たちの心を乱し、迷わせる感情のことです。

節分における「鬼を払う」という行為は、こうした煩悩を克服し、心を浄化する仏教の教えと結びついてきました。

煩悩を払い、清らかな心を取り戻すことで、私たちは新しいスタートを切ることができます。新しい年を迎える節分は、そのきっかけを与えてくれる大切な日と考えられてきました。

豆まきと仏教の教え

「福は内、鬼は外」という掛け声とともに行われる豆まき。 小さなお子さんがいるご家庭では、笑顔の絶えない楽しいひとときを過ごすことでしょう。

しかし、この日本伝統の行事には、意外にも深い仏教の教えが隠されています。

豆まきに使われる「豆」を「魔滅(まめ)」と読み替えることで、鬼(煩悩)を滅ぼすという意味が込められています。

仏教における「鬼」とは、単なる恐ろしい存在ではなく、私たちの心の中に潜む煩悩や迷いの象徴でもあります。怒りや欲望、妬みといった感情が「鬼」として表現され、これらを克服することが心の浄化につながると考えられています。

また、仏教では「鬼」は常に飢渇きに苦しむ亡者「餓鬼」と同一視することもあり、その餓鬼も救いとるとの思いから、「福は内」とだけ言い、「鬼は外」とは言わないそうです。お寺の節分に参加する際には、その掛け声にも注目していただければと思います。

豆を撒くことで福(善行)を呼び込むという考えも、仏教の実践と通じる部分があります。仏教では善行を積むことが来世の幸福や心の充実につながるとされており、豆まきはその象徴的な行為として捉えられます。

また、大きなお寺では毎年盛大な節分イベントが開かれ、豆まきは地域の伝統行事として根付いてきました。特に千葉県の成田山新勝寺で行われる「特別追儺豆まき式(とくべつ ついな まめまきしき)」は全国的に有名です。

大相撲の力士や俳優、文化人など、各界の著名人が豆を撒き、福を分け与える姿は壮観で、例年約5万人もの人々が集まります。長年にわたり、仏教文化を背景とした地域全体の厄除けや幸福祈願の行事として受け継がれてきた証ともいえるでしょう。

寺院での節分行事

https://jodo.or.jp/newspaper/news/12352/

立春の前日である節分には、各地のお寺で追儺式という行事が営まれます。

追儺式は、邪気がはびこる日とされた旧暦の大晦日に、生活を脅かす怪物である鬼を追い払うことを目的に行われていました。追儺とは、人を鬼に扮装させて、これを追い払うという行事で、もとは中国で行われていたものでした。

日本では、平安時代に宮中で営まれたことに端を発し、次第に年中行事として定着していきました。その後、旧暦の立春が大晦日に近かったことや、立春も邪気がはびこる日とされていたことから、室町時代のころには、現在の節分の時期に行われるようになったとされます。

寺院での追儺式は、宗派を問わず行われ、浄土宗でも、本山をはじめとする寺院で営まれています。

中でも有名なのが、総本山知恩院(京都市東山区)で行われる追儺式です。 年男が知恩院七不思議の一つ「大しゃくし」を持って諸堂を回り、豆をまくというものがあります。しゃくしは物を「すくう」道具であることから、阿弥陀さまの「救い」を表しているとされ、この大きなしゃくしで人々を救い取るという願いが込められています。

そのように考えると、なんだか心が温かくなりますね。

仏教的視点での実践

仏教の視点での節分の豆まきは、追い払うべき鬼は、自分自身の煩悩であること。
餓鬼のような存在も等しく救うという姿勢が仏教の節分の大きな特長と言えるでしょう。

日常でもこの視点を持つことで、心の中に潜む煩悩を見つめ直し、それを取り払う行為として捉えることで、日常生活にもポジティブな影響を与えることができます。

  • 日々の中で「煩悩」に気付き、それを手放す努力をする。
  • 阿弥陀仏へのお念仏を通じて、心を穏やかにする時間を持つ。
  • 家族や友人と「福」を分かち合い、感謝の気持ちを伝える。

これらを意識することで、節分は新たなスタートを切るための貴重な節目となるでしょう。

まとめ

節分は単なる年中行事ではなく、私たちの心を見つめ直す大切な機会であるとご理解いただけたと思います。

節分を迎える際には、仏教の視点から自らの内面を振り返り、心を浄化するひとときを持ってみてはいかがでしょうか。日常の中に仏教の教えを取り入れることで、私たちの暮らしはより穏やかで充実したものになるはずです。

新しい一年を、清らかな心で迎え、皆さまが福に満ちた日々を過ごせますよう願っています。