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住職の日記

お寺での葬儀に感じる安らぎ

葬儀のかたちは、時代とともに変化しています。

都心部では「一日葬」や「火葬式(直葬)」を選ばれる方が増えてきました。
背景には、ご家族の事情や経済的な理由という背景があるように感じます。

大切なのは、どのような形式を選ぶかではなく、どんな気持ちでお別れの時間を過ごすか。
会館葬が一般的になって久しいですが、静かにお見送りできる場として「お寺での葬儀」に関するお問い合わせもいただくようになりました。

今回は、私自身が住職として感じている「静かに送る」というやさしさについてお話しします。

現代の葬儀に欠けつつある“静けさ”

いま主流となっているのは、葬儀会館で行う「会館葬」です。
昔に比べて、式の準備や進行を葬儀社がしっかり整えてくれるようになり、ご家族が自分たちで用意する手間は少なくなりました。

効率的に一方で、「遺族として葬儀を行った」という実感が薄いと感じる方もいらっしゃいます。

お任せできるのはとても便利で、安心できる点でもありますが、私は、ご家族がそれぞれの立場で少しでも葬儀に関わることも大切だと感じています。
深い悲しみの中にある方は、できるだけ故人と過ごす時間を持つことが大切です。

そして、お孫さんなど次の世代の方たちは、何かしらの準備を手伝ったり、葬儀の際に「お別れの言葉」をお読みすることで、「家族みんなで見送った」という実感できるでしょう。

葬儀は、悲しみを分かち合うだけでなく、家族のつながりや、いのちの受け継ぎを感じる時間でもあります。

それぞれの立場で故人を想う時間を過ごしていただければと思います。

見直されつつあるお寺での葬儀

十念寺の本堂は、立派な伽藍のある寺院ではありません。
しかしながら、慌ただしさのない空間で、心を落ち着けて故人を想う時間をゆっくりと過ごしていただけると思います。

線香の香りや読経の響きなど、そうしたささやかな要素が、日常から少し離れ、亡き人と静かに向き合うための空気をつくってくれます。

遺族に寄り添うということ──「悲しみ」を無理に明るくしない

葬儀の場では、さまざまな想いが交錯します。
「泣かないようにしよう」と頑張る方、「しっかりしなければ」と気を張る方。
けれども、私は無理に元気に振る舞う必要はないと思っています。

悲しみを急いで乗り越えようとしなくていい

泣くことも、黙って見送ることも、すべてが供養のかたちです。
仏さまは、その人の心のままを受け入れてくださいます。

葬儀会社が行う葬儀では、時間の制約や進行の都合もあり、ご遺族と深く関わることが難しいこともあります。それは決して悪いことではなく、役割の違いから生まれる形です。

一方で、十念寺では一日一組のご葬儀をお受けしています。

慌ただしさのない中で、ご家族のお話に耳を傾けながら、悲しみの中にある想いを少しでも受けとめられるよう心がけています。

お経を読むときも、「進行の一部」ではなく、祈りを届ける時間として一声一声に心を込めています。

住職として、葬儀に込める思い

葬儀の時間は、故人とご家族の心を結び直す場でもあります。
「ありがとう」「ごめんね」「また会おうね」──。
その言葉を胸に、故人のいのちが次の世代へと静かにつながっていくのです。

浄土宗の教えでは、救いを求めてお念仏を称えるならば、阿弥陀さまの救いの慈悲は分け隔てなく注がれると説かれています。浄土宗の葬儀は、故人を阿弥陀さまの極楽浄土へとお送りするための、大切な儀式です。

同時にそれは、私たちがこの世でのお姿の故人とお別れをする時間でもあります。

だからこそ、これまでの歩みやご縁を静かに振り返り、できるならば「ありがとう」という感謝の気持ちをもって、葬儀の儀式にご参加いただき、見送っていただきたいいと願っています。
定められた儀礼を受け魂を極楽浄土へ送り、故人を想い、手を合わせ、祈るそのひとときこそが供養の本質であり、僧侶として私がお伝えしたい願いです。

誰にでも開かれたお寺でありたい

十念寺は、仙台市にあるお寺ですが、檀家でない方や宗派の違う方からのご相談も多くいただきます。

「お寺で葬儀をしたいけれど、檀家でないと無理ですよね?」とためらわれる方もいます。
しかし、私としては「ご縁のある方すべてに寄り添いたい」と思っています。

法然上人は、「すべての人が阿弥陀さまの救いにあずかることができる」と教えられました。
その精神を受け継ぎ、十念寺では宗派を問わず、どなたでもご相談していただける場でありたいと願っています。

葬儀だけでなく、法要や供養のかたちも、それぞれのご家庭に合った方法で構いません。
「こうしなければならない」という決まりよりも、“故人を想う心”を大切にすること。
それが、十念寺が目指す“開かれたお寺”のあり方です。

心のこもったお葬式を、安心できるかたちで

お寺での葬儀に興味はあっても、「費用のことが心配で」と話される方も少なくありません。
十念寺では、明瞭な料金設定を心がけています。

必要な内容をあらかじめ明示し、見積もり以上の追加費用が発生しないようにしています。
これは、お金の心配よりも、故人を想う時間に集中してほしいという願いからです。

たとえば、仙台市内で多いご相談のひとつが「小さな家族葬を本堂でできないか」というもの。
お寺の本堂は、華美ではありませんが、穏やかな空気があります。その穏やかな時間が、故人さまとお別れをする場としてふさわしいのではないでしょうか。

心を大事にすること。

それが、お寺で行う葬儀の本質だと私は思います。
華やかではなくても、心の奥に残るお別れの時間をお届けしたい。
その想いで、十念寺では葬儀に向き合っています。

まとめ

お葬式は、「さようなら」を伝えるためだけの儀式ではありません。
亡き人への感謝と、これからを生きる人の“心の再出発”の時間という側面もあります。

設備が整い、進行もお任せできる会館葬もよいですが、静かな空間で、ゆっくりと故人と語り合う時間を持つことができるお寺でのご葬儀も再度注目していただければと思います。

仙台市の浄土宗・十念寺では、宗派を問わず、心をこめたお葬式のご相談を承っております。
どうぞお気軽にお問い合わせください。

皆さまの大切な時間が、穏やかな祈りに包まれますように。