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住職の日記

夢で出会った師──法然上人と善導大師「二祖対面」のおはなし

念仏をよりどころに生きた法然上人

浄土宗の宗祖・法然上人は、生涯にわたり阿弥陀仏の名をとなえる「お念仏」の教えをひろめられました。
そのお念仏の数は、なんと一日に数万遍。後には、六万、七万遍にも及んだと伝えられています。

なぜそこまでして、法然上人はお念仏をとなえ続けられたのでしょうか。
それは、ただ自分の救いを願ったからではありません。

誰もが、どんな境遇にあっても、阿弥陀さまに救われるという確信と、その教えの尊さを、一人でも多くの人に伝えたい──
そう願ってのことだったのです。

ある夜、法然上人の夢に現れた人物

そんなある夜、法然上人は不思議な夢を見られました。
西の空に、紫の雲がたなびき、そこから一人の僧侶が姿を現します。
その僧は、上半身に墨染の衣(すみぞめのころも)をまとい、下半身は金色に輝いていたといいます。

法然上人と善導大師の二祖対面(『法然上人行状絵図』巻七)

その光景を見た法然上人が「あなたはどなたですか」と尋ねると、
その僧はこう答えられました。

「私は善導である。
念仏を広めることは、まことに尊いこと。
あなたにそのことを伝えるために来たのです。」

この夢は、のちに「二祖対面(にそたいめん)」と呼ばれるようになりました。

「二祖」とは、法然上人が「一祖」、その師と仰いだ「善導大師(ぜんどうだいし)」が「二祖」として、浄土宗で大切にされている存在です。

善導大師とは、どんな方だったのか?

善導大師は、7世紀の中国・唐の時代に生きたお坊さまです。

阿弥陀仏を深く信じ、その名を称えることによって救われる「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」の教えを一筋に説かれました。

当時の中国にも、さまざまな仏教の流派がある中で、善導大師は「凡夫(ぼんぶ)──煩悩の多い私たちのような存在」でも、
ただ南無阿弥陀仏と称えることにより、必ず極楽浄土に往生できる、と説かれたのです。

この善導大師の教えに深く共鳴したのが、法然上人でした。
法然上人は、数えきれない仏教の経典や解説書を読み尽くし、ついには善導大師の著書に出会います。

そこに書かれていた「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし(選択本願念仏集)」──
この言葉に、法然上人は衝撃を受けました。

「これこそが、万人を救う道である」と確信し、日本で念仏の教えをひろめる決意を固められたのです。

500年の時を超えて、夢の中で“対面”が叶う

法然上人が夢で見た善導大師とは、実際には五百年以上も時代を隔てています。
当然、直接に出会ったことはありません。

けれども、心の中では、常に善導大師の教えを師とし、日々その道を歩み続けておられました。
その思いが、夢というかたちで、現れたのかもしれません。

この夢を見たのち、法然上人は善導大師の姿を絵に描かせました。
当時、日本には善導大師の肖像は伝わっていなかったのですが、後に中国から本物の肖像画が伝えられると、なんと法然上人が描かせたものと、驚くほどよく似ていたというのです。

それは、夢の出来事を「ただの夢」と片づけられないほど、深く真実味を帯びた出来事だったのでしょう。

夢は“心の現れ”

では、法然上人はなぜ、そんな夢を見られたのでしょうか?

私たちは、日々の暮らしの中で、何かに真剣に向き合っているとき、
夢の中にその答えが表れることがあります。

それが心の奥底からの願いであればあるほど、その夢は強いメッセージを持ちます。

法然上人にとって、それはまさに「念仏を広めたい」という願いでした。
そして「善導大師と同じ教えを歩む者でありたい」という、深い信仰の現れだったのだと思います。

だからこそ、夢の中で善導大師は、
「あなたのしていることは正しい。念仏を広める道は尊い」
と、背中を押してくださったのでしょう。

いま、私たちが受け継ぐこと

この「二祖対面」のお話は、単なる逸話ではありません。
念仏の教えを伝えようと尽力した法然上人と、その心の支えであった善導大師。
このおふたりの出会いは、いまを生きる私たちにとっても、大きな意味を持っているのではないでしょうか。

「南無阿弥陀仏」と称えるだけで、どんな人も救われる。
難しい修行をしなくても、煩悩のある私たちのまま、阿弥陀さまの慈悲に包まれる──
それが、浄土宗のお念仏の教えです。

忙しい毎日の中で、不安や孤独を感じることもあるでしょう。
そんなときこそ、口に出して「南無阿弥陀仏」と称えてみてください。

法然上人も、善導大師も、その教えを信じて歩み続けたのです。

紫雲の夢に思いをはせて

紫の雲に包まれて、夢の中で出会った善導大師──
その姿に励まされ、法然上人はよりいっそうお念仏の道を深めていかれました。

私たちが今日、浄土宗のお念仏に出会い、手を合わせることができるのも、
その一念一念の積み重ねがあったからこそです。

どうぞ、みなさまも気負わず、日々の中で「南無阿弥陀仏」とお称えください。
阿弥陀さまは、いつでも、どこでも、どんなあなたにも、寄り添ってくださる仏さまです。

毎日、お念仏を称えるのは難しい…という方は、毎月25日に開催している十年寺のお念仏の会にご参加ください。

私と参加者さんと一緒に「南無阿弥陀仏」と称えてみましょう。