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住職の日記

十念の重要性とは?浄土宗におけるお念仏の教え

10月に入り、仙台では朝夕は冷え込むようになりました。 皆さんはお元気でおすごしでしょうか?

秋が深まり過ごしやすくなると、私たちの心も静かに自らを見つめる時間が増えてくる時期ですね。皆さんは「十念」という言葉をご存じでしょうか?

今回は、浄土宗における十念の意味とその重要性について、そして私が「十念寺」と名付けた理由についてお話ししたいと思います。

十念とは?

浄土宗において、阿弥陀様の名号を称えることをお念仏や念仏と言います。その中でも、「十念」とは阿弥陀仏の名号である「南無阿弥陀仏」を十回称えることを指します。なぜに十回なのかと言えば、

その根拠として無量寿経には法蔵菩薩として誓われた請願の中の18番目に

設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆 誹謗正法

【現代語訳】「私が仏となる以上、誰であれ、あらゆる世界に住むすべての人々がまことの心をもって、深く私の誓いを信じ、私の国土に往生しようと願って、少なくとも十遍、私の名を称えたにもかかわらず、往生しないというようなことがあるならば、私は仏となるわけにはいかない。ただし五逆罪を犯す者と仏法を謗る者は除くこととする。」とあります。

また、観経の下品下生には、「声を途切れさせないように十たび念じて南無阿弥陀仏と称えなさい。仏のみ名を称えることによって80億刧の間重ねてきた罪が除かれ往生できる」と示されていることから、阿弥陀様の名号を十遍称えること(お十念)を大事にしています。

念仏は、凡夫である私たちが煩悩や迷いにとらわれながらも、阿弥陀仏の慈悲にすがって救われる(これを往生と言います)ための大切な「行」であります。法然上人の御法語 信行双修では、信心については「一念で往生できる」と信じ、行については、生涯続けて励むべきと説かれています。

法然上人の教え

浄土宗の開祖である法然上人は、この念仏の御教えを深く信じ、その実践を広めました。法然上人のが大切に人々に説いたのは「専修念仏」と呼ばれるものです。これは、厳しく辛い修行を行うのではなく、ただひたすらに阿弥陀仏のお名前である「南無阿弥陀仏」を称えることによって極楽浄土への道が開かれるという教えです。

これは、当時の仏教界においてはかなりセンセーショナルな思想でありました。それまでは、悟りを得るために、厳しい修行を行い、戒律を守り修行を行うと言った特別な人間だけが成仏することが出来るとされてきました。そんな常識を法然上人は、人々が厳しい修行や戒律に縛られることなく、誰でも平等に阿弥陀仏の慈悲によって救われる道があるとしたからです。

これは、当時の多くの人々にとって救いの光となりました。誰もが念仏を称えることで、煩悩にとらわれず、阿弥陀仏の大きな慈悲に包まれて生きることができる。この考え方は、多くの人々にとって非常に親しみやすく、だれもが実践しやすいものだったのです。

十念を実践する意味

私たち現代人は、一日に約6万回の考えごとをすると言われています。意識的に行う問題解決や計画、無意識的に浮かんでくる考えなどが含まれます。多くの考えは自動的に繰り返されるものや日常的な心配ごとが多くを占めており、そのうちの約8割はネガティブな内容ともされています。

6万件の約8割はだいたい48,000件もネガティブなことを考えているのです。「考えないようにしよう」としても、無意識に頭をよぎっています。

そのため、なにかに没頭する時間を意識的に作るのがよいとされていますね。

たとえば、マインドフルネス(瞑想)や体を動かすことなどがあげられます。でもやってみるとわかるのですが、瞑想にはコツがいるし、毎日運動するのもなかなか大変なものです。

そこで、手軽にはじめられるのが「お念仏」です。

念仏を実践することの意味は、阿弥陀仏様への信仰を深めると同時に、自分自身の心を穏やかにし、阿弥陀様のお慈悲につつまれていくことにあります。お念仏を称えるたびに、私たちの心は少しずつ清らかになり、日々の生活の中で感じる悩みや苦しみが軽減されていくのです。

ただ阿弥陀仏の名を称える際には、「お救いださい」、「お守りください」と念ずると良いでしょう。これを継続することによって、次第に安らぎと希望をもたらします。本来は時間や回数を決めてお称えするべきですが、十回の念仏でも良いでしょう。日常の喧騒から一歩離れ、仏の世界とつながる瞬間を得ることができます。ご自宅にお仏壇がある方はお仏壇の前で、阿弥陀様の仏像や絵像がなくても、あなたのお部屋で、西に向かってお称えしてみましょう。

こればかりは、体験していただくのが一番でしょう。

念仏の素晴らしさは、誰でもどこでもできることにあります。特別な道具や場所は必要なく、ただ心を込めて「南無阿弥陀仏」と称えるだけで良いのです。このシンプルさが、忙しい現代人にとっても非常に大きな救いとなるのではないでしょうか。

十念寺の名前に込めた思い

私が開教寺院としてお寺を建立した際、寺名を「十念寺」と名付けました。 これは、阿弥陀様の御教えであるお念仏を多くの方に伝えたいという強い気持ちからです。

その中でも、十念とは、先ほどもお話ししたように、わずか十回のお念仏によって阿弥陀仏に救われるという非常にシンプルでありながら深い教えです。このシンプルな教えにこそ、現代の人々を救う力があると私は信じています。

そして、忙しい現代社会の中で、十念というわずかな時間でも、阿弥陀仏とのつながりを感じ、心の平安を得ることができる場所として、この十念寺を建てました。

十念寺は、皆さんが日々の忙しさや悩みの中で立ち止まり、心を落ち着け、そして阿弥陀仏のお導きを感じられる場所でありたいと願っています。

まとめ

浄土宗における十念の教えは、私たちが日常の中で煩悩や迷いから解放され、心の安らぎを得るためのシンプルで力強い方法です。法然上人が説いた「専修念仏」の精神は、誰でも平等に阿弥陀仏の慈悲を受け入れることができるという、普遍的な救いの道です。

私がこのお寺を「十念寺」と名付けたのも、このシンプルな教えを広く伝えたいという願いからでした。忙しい日々の中で、ほんの少しの時間でもお念仏を称え、心の安らぎと仏とのつながりを感じていただきたいと思います。

これからも十念寺は、皆さまが日々の悩みや苦しみから解放され、心の平安を得る場所であり続けたいと願っています。どうぞお気軽にお越しいただき、一緒にお念仏を称え、阿弥陀仏の慈悲に触れてみてください。