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住職の日記

なむあみだぶつ──その声が山に響いた日

法然上人と「大原問答」のお話

京都・大原の山の中に、「勝林院」というお堂があります。
静かな山あいにたたずむそのお堂で、いまから800年以上も前のこと、一つの大きな出来事がありました。
それが「大原問答」と呼ばれる、お念仏の教えをめぐる話し合いの場です。

法然上人──人びとの苦しみに寄り添ったお坊さま

法然上人は、鎌倉時代の初めに生きたお坊さまです。
当時の日本は、戦や災害が相次ぎ、人びとの心も不安でいっぱいでした。

「どうすれば、この世の苦しみから救われるのだろうか」
「誰でも、年をとっていても、お金がなくても、救われる道はないだろうか」

そんな思いで、法然上人は長いあいだ仏さまの教えを学び続け、やがて一つの答えにたどりつきました。

それが──「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)とお称えすることこそ、すべての人の救いにつながる」という教えでした。

天台宗の学者との問答

この新しい教えは、たくさんの人の心に届きました。
けれど、それを疑問に思うお坊さまたちもいたのです。

「お念仏だけで救われるなんて、そんなに簡単でよいのか?」
そう言って、天台宗の学問にすぐれた顕真上人が、法然上人に問いかけました。

文治二年(1186年)、大原の勝林院に多くのお坊さまたちが集まり、法然上人と顕真上人との話し合いが始まります。
これが「大原問答」です。

法然上人の、やさしくも揺るがぬ思い

話し合いは、一晩中続きました。

天台宗のお坊さまたちは、仏さまの教えは学びや修行が大切だと主張します。
けれど、法然上人はこう語りました。

「みなさんの教えも、たいへん立派です。
でも、この末法の世では、果たして誰もがそれを実行できるでしょうか。
だからこそ、今すぐにでも、誰にでもできるお念仏こそが、今の世にふさわしい救いなのです。」

その静かな言葉に、場の空気が変わったと言われています。

なむあみだぶつの声が、山にこだました

問答のあと、聞いていた人びとは皆、心を打たれたのでしょう。
その場にいたすべての人が「南無阿弥陀仏」と声をそろえて称え始めたのです。

その念仏の声は、三日三晩、大原の山々に響き渡ったと伝えられています。

この出来事をきっかけに、法然上人の教えはさらに多くの人びとに広まりました。

「ただ念仏を称えるだけでいいの?」と思う方へ

現代に生きる私たちも、こんな疑問を持つことがあるかもしれません。

「ただ南無阿弥陀仏と称えるだけで、ほんとうに救われるのだろうか?」
「そんなに簡単なことで仏さまに届くのだろうか?」

でも、法然上人はこうおっしゃっています。

「念仏とは、自分の力で救われようとがんばるものではありません。
阿弥陀さまが、私たちを救おうとしてくださっている。
そのお慈悲に、ただまかせればよいのです。」

だから、難しく考える必要はありません。

静かに、「なむあみだぶつ」と声に出してみてください。
その声は、きっとあなたの心にやさしく届き、安心をもたらしてくれることでしょう。

法然上人の教えは、今を生きる私たちにも

いまの世の中は、情報が多く、忙しさに心をすり減らしてしまうこともあります。
誰もが悩みや不安を抱えて生きている時代です。

そんな今だからこそ、「ただお念仏を称えましょう」という法然上人の教えは、私たちの心をふっと軽くしてくれるのです。

ご一緒に、お念仏を称えてみませんか?

十念寺では、毎月25日に「お念仏の会」を開いております。
仏さまの前で、静かにお念仏を称え、心を落ち着ける時間をご一緒しませんか?

どなたでも、ご参加いただけます。
初めての方も、どうぞ安心してお越しください。