夢で出会った師──法然上人と善導大師「二祖対面」のおはなし念仏をよりどころに生きた法然上人浄土宗の宗祖・法然上人は、生涯にわたり阿弥陀仏の名をとなえる「お念仏」の教えをひろめられました。 なぜそこまでして、法然上人はお念仏をとなえ続けられたのでしょうか。 ある夜、法然上人の夢に現れた人物そんなある夜、法然上人は不思議な夢を見られました。 ![]() その光景を見た法然上人が「あなたはどなたですか」と尋ねると、 「私は善導である。 この夢は、のちに「二祖対面(にそたいめん)」と呼ばれるようになりました。 善導大師とは、どんな方だったのか?![]() 善導大師は、7世紀の中国・唐の時代に生きたお坊さまです。 当時の中国にも、さまざまな仏教の流派がある中で、善導大師は「凡夫(ぼんぶ)──煩悩の多い私たちのような存在」でも、 この善導大師の教えに深く共鳴したのが、法然上人でした。 そこに書かれていた「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし(選択本願念仏集)」── 「これこそが、万人を救う道である」と確信し、日本で念仏の教えをひろめる決意を固められたのです。 500年の時を超えて、夢の中で“対面”が叶う法然上人が夢で見た善導大師とは、実際には五百年以上も時代を隔てています。 けれども、心の中では、常に善導大師の教えを師とし、日々その道を歩み続けておられました。 この夢を見たのち、法然上人は善導大師の姿を絵に描かせました。 それは、夢の出来事を「ただの夢」と片づけられないほど、深く真実味を帯びた出来事だったのでしょう。 夢は“心の現れ”では、法然上人はなぜ、そんな夢を見られたのでしょうか? 私たちは、日々の暮らしの中で、何かに真剣に向き合っているとき、 それが心の奥底からの願いであればあるほど、その夢は強いメッセージを持ちます。 法然上人にとって、それはまさに「念仏を広めたい」という願いでした。 だからこそ、夢の中で善導大師は、 いま、私たちが受け継ぐことこの「二祖対面」のお話は、単なる逸話ではありません。 「南無阿弥陀仏」と称えるだけで、どんな人も救われる。 忙しい毎日の中で、不安や孤独を感じることもあるでしょう。 法然上人も、善導大師も、その教えを信じて歩み続けたのです。 紫雲の夢に思いをはせて紫の雲に包まれて、夢の中で出会った善導大師── 私たちが今日、浄土宗のお念仏に出会い、手を合わせることができるのも、 どうぞ、みなさまも気負わず、日々の中で「南無阿弥陀仏」とお称えください。 毎日、お念仏を称えるのは難しい…という方は、毎月25日に開催している十年寺のお念仏の会にご参加ください。 ![]() |
住職の日記